室生寺
闇と光の十二神将を描く
小林 彬個展「闇と光の十二神将」
平成26年4月1日(火)〜4月18日(金) 18日間
開催時間:9:00~16:00
室生寺 慶雲殿にて開催
室生寺で初めて開催される小林 彬個展
制作日記
室生寺より歩いて30分、車で5分の室生下田口に、大阪より移り住んで10数年。
室生寺には、桜の頃、新緑の候、秋の紅葉と事あるごとに歩きに行っている。
年の終わりの「除夜の鐘」打ちは、我が家の恒例行事。なんとしても行く。
室生寺の近くに住むからこそ出来る贅沢のように。
大晦日、夜11時半には、鐘楼前に並んで待つ。
自身が病を得てからは、自然に、仏様に掌を合わせる習慣になっていて、急なこう配の鎧坂をゆっくり上り、金堂に着き、礼堂に座り休憩していると、五体の仏像の前に並ぶ十二神将像が、どうした?とでもいうように感じられた。
十二神将は、薬師如来を24時間守護する意味があり、仏さまの化身と聞いていたので、自身とみんなの健康をお祈りしているうちに、この侍たちを是非スケッチしたいと思うようになった。
しかし、どこのお寺でも仏像の写真撮影、スケッチはお断りの張り紙がある。
室生寺も例外ではありません。
宇陀市の教育委員の方や、土地の方にもお願いし、昨年暮れにはからずもやっと許可がおり、今年2月~3月にスケッチに入らさせて頂くことになりました。
有難いことでした。
多分に室生が好きで、住み続けている事を理解してくださったのだと解釈しています。
スケッチ許可をお願して
全山 白皚皚の中で、スケッチ開始


2月20日、十二神将像のスケッチ開始、室生寺の金堂に通う初日です。
今年、1月は降らなかった雪が、2月15日から降りだし、20日朝は、我が家辺りも雪が積もってました。
10数年住んでいても、雪の室生寺は、なかなか見られませんでした。
有名な写真家の土門拳さんが、初めて室生寺を訪れ、時の管長 荒木良仙住職に
「一番綺麗な室生寺は、いつの季節ですか?」と尋ねた。
「室生寺は、季節それぞれに美しいが、強いて私の好みをいえば、全山白皚皚たる雪の室生寺が一番です」と言われた事が忘れられず、何度も冬に通うが出会えず、40年後、やっと雪の室生寺をカメラに納められたという。
ライフワークとして室生寺を撮り続けた土門さんにして、なかなか遭遇出来なかった雪の室生寺に、スケッチを開始したその日に出会う事が出来、寒さを忘れて感激してしまいました。
雪がところどころ溶けだした鎧坂を、滑らないように上って行くと、前に真っ白な金堂の屋根がみえます。
冬で開門すぐの閑散とした寺内は、もし、仙境が有るとすれば、こういう所だと思われました。
スケッチ作業には、金堂の内陣の奥にまで入れさせて頂きました。十二神将像が触れるぐらいの場所です。
朝9時,金堂に入りまず、釈迦如来様の前で「今日も一日スケッチをさせて頂きます」と掌を合わせてから始めましたが、零下5度となる日もあり、緊張と寒さでなかなかスケッチは進みませんでした・。
身近に十二神将像を拝見して
十二神将像の作者は、運慶とも言われていますが、定かではありません。
ただ、鎌倉時代に彫られたこの木像は、まるでギリシャ彫刻のようにリアルで精密に彫られたものです。躍動感にあふれています。
当時、鎧は獣の皮で作られ、体に密着出来るように紐で固く締めていたと文献には書かれていますが、十二神将の侍たちの身に着けている鎧、兜 履物からも当時の武将の様子が分かります。
申や辰さんの像の肩には、獅子の形をした飾り物がありましたし、それぞれの像のかしら部分に、十二支の干支がほどこされ、仏法の護法神としての役割をになっているのがわかりました。。
素地に白土下地を施し彩色し、一部は漆箔をしているのが千年経っても残っているのには驚きます。
炎のように逆立てた焰けいは朱色の鮮やかなものだったと思われます。
鎧の金箔の部分に、墨で経典と思われる文字が彫られているようでした。
当時 出来上がった像はどんなにか鮮やかだったか、想像してしまいます。
御仏、光背 神将も、信仰心篤い衆生を魅了したことでしょう。
長い歳月の間に、かしらに彫られている十二支の干支が取れているのもありましたが、そのままにし、指先の折れているのは想像で描き加えました。
内陣の照明は二か所で暗く、光と影が左右でバランスがくるい、想像するしかないのには苦労しました。
それでも、一か月余りで100点以上のスケッチをいたし、作業を完了させました。
一か月の間、金堂に務めておられる係り員の方々には本当にお世話になりました。ここで、お礼を申し上げます。




(文:小林 加代子)